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平成26年度 酪農教育ファームスキルアップ研修会(東北会場)―講演―
平成26年度 酪農教育ファームスキルアップ研修会(東北会場)が行われました。
「いのちと向き合う 小学校の学校教育の現場から」
文教大学付属小学校校長代行 島野 歩(あゆみ)

 私にとって酪農は遠いところにあって、4年前に初めて酪農教育ファームと出会い牧場へ行きました。そこで子ども達と同じように酪農家さんの授業を受けました。
 最初に酪農家さんが子ども達を目の前に何をしたかというと卵を持って、それを割りました。そして「この音は何の音だと思いますか」と言いました。1〜6年生までの子ども達がいましたが、皆口をそろえて「卵の割れる音」という反応でした。
私も何を意図して卵を割ったのか分かりませんでした。それに対して酪農家さんが「これはひとつの命が壊れる音です。」と言ったのです。すごく衝撃的で、心の中に稲妻が走りました。子ども達も「えー!」という反応そのものでした。「もしかしたらこの卵は、割られなければひとつの命となってヒヨコが生まれて、鶏になって、また卵を産みます。みんなが食べている卵は実は、ひとつの命だよ。」と言われた時に衝撃を受けたのが最初でした。
 その後、続けて「みんなランドセルを背負っていると思います。ランドセルは牛革で出来ているけれど、1頭の牛から何個のランドセルが作れると思う?」という質問をすると「100個、200個、50個」とか反応をします。「誰も正解はいません、実は産まれて7ヶ月の子牛1頭から1個のランドセルです。1個の命に1個のランドセルです」と言われた時に私の心にさっきよりも大きい稲妻が走りました。子ども達の中には泣き出す子もいました。その話の後、牛と対面して、背中をブラッシングしたり、乳搾りをしたりミルクを飲ませたり、色々な体験をしました。体験をする中で、子ども達の牛を見る慈しみの目というのが私はものすごく印象的でした。
 この体験を私1人で持っているのは勿体ないと思い、帰ってすぐに学校の子ども達に話をしました。教室の後ろのロッカーに生徒のランドセルが入っているのですが、「1頭の牛からランドセルがいくつ出来ると思う?」と質問しました。そうすると牧場での反応と同じような答えが返って来ました。
「実は、後ろに並んでいる32個のランドセルは32頭の子牛の命だよ」と話をしたら、やはり「えー!」という子ども達の反応が返ってきました。更に、革で出来ているベルトもそう?靴もそう?という色々な反応が返ってきて、実は自分の身近なところに命がいっぱい溢れていて、その命があるおかげで自分達は生活出来、食を頂いたり出来るんだという気付きが沢山ありました。
酪農だからこそ感じることのできる「心のざわつき」
 酪農だからこそ感じる「心のざわつき」があると思います。それは農業にも漁業にもありません。農業は収穫したものを頂くことがそのまま食の喜びになると思いますが、酪農は可愛がって育てた牛が、いのちを肉にする為に去っていく瞬間の感覚、感触というのは毎回おんなじだと酪農家さんが言っていました。
 何とも言えないこのざわざわした感じ、それは酪農でしか感じないざわつきなのではないかと思います。その心のざわつきこそが、今の子ども達に欲しいのです。育てた、うれしい、いただきますではない、色々な苦しみ、悲しみ、せつなさを今の子ども達が感覚として、感情として最も足りないものだと私は思っています。だからこそ今、この酪農を子ども達に伝えたいと思っています。
「学校教育の現場から」
 昨年度3学期に千葉県の加茂さんという酪農家さんが、本校の1年生にお話しに来てくれました。
 1年生の命を考える学習にしたいということで、育てていた牛が肉になっていくこともしっかり子ども達に伝えました。加茂さんもそれを受けて、命について熱く語って下さいました。牛に対してのイメージが、いのちに関するところになると、やはり子ども達は考えます。今なかなか授業の中で子ども達が自分の心と向き合って考えるという時間は少ないのです。教えられるという授業が多いので、もっと子どもに考えさせて、感じさせて、自分が今日はこれを得たと言えるような、授業を作っていかなくてはという話をしました。
 その授業の前に、自分の年表を作って来てもらいました。自分が生まれた時から、7歳になるまで、どういう人生を送ってきて、これからどういう未来になっていくかという年表を作り、その上に牛の人生の年表があって、加茂さんの授業の前にそれを想像していました。そしたら加茂さんが「牛は、7年くらいで命がなくなるのです。」1年生位だと視覚で心の中に入っていくというところがあるので、自分の人生は長く続いていくのに、牛の人生は7歳で切れる。そこが衝撃的だったようでその後の子ども達の感想文からは「牛の命を頂いていると初めてわかりました。肉を大事に食べます」「僕は肉が嫌いだったけれど頑張って食べるようにします」など、それぞれに自分の命と牛の命と加茂さんの想いを考える感想がとても多かったです。
 小学生は即自的なものではないので、学習したことがすぐ結果に出てくるわけではありません。この出前授業を受けた後に、1人の男の子のお祖父さんが亡くなりました。この男の子はとてもおとなしい子で、発表もほとんどしない、朝の会が始まるまで自分の支度をしているようなゆったりしている子です。ところが、お祖父さんが亡くなった時に詩を書いたのです。家で初めてこういうのを書いたので、お母さんが衝撃を受けて学校に持ってきてくれました。
 お祖父さんの命と、自分の命がリズムみたいに繋がって命が巡るみたいなイメージでつづったのだと思うのですが、言葉があふれ出ていました。1ヶ月前の命の授業で感じたことが時を経て詩という形で出てきたのではないかなと私は思っています。
「命に出会う大切さ」
 本校の4年生の子が八ヶ岳に行って牛と触れ合った時の写真です。(右画像参照)子ども達は命が身近にある環境ではないので、牛を目の前にするとびっくりして、手も硬直してます。ところが、牛に触れたとたんこんな顔になるのです。触ると、「あっかたい。」命は子どもを変えると思いました。
 自分の思い通りにならない、触るとあったかい、乳を搾るとそこからお乳が出てくる。子どもにとって魅力的で、教員が何か喋るよりもずっと牛の方が説得力や指導力があります。
 残念ながら、今の子ども達は命に触れあう体験が減っています。20年位前までは放課後、そばにある池や川に行ってザリガニを捕ったり、陽が暮れるまで川に入ったり、自然と戯れる子ども達の姿があったのですが、今は本当に無いのです。虫すら見たことがない子どもも多いです。
 1年生でカブトムシを1人1匹育てようと、近くの山に入って幼虫を持って行った事があります。1年生で初めて虫を見たという子がいるくらいですから、ほぼ100%幼虫を触れません。命に触れることすら抵抗がある。汚い、臭いとか言っていました。
 育てていくうちに、変化して、さなぎになって、誰かのさなぎが成虫になると「ほんとにカブトムシだった!」っていうことが繋がっていき、「いとおしい」と思い始めるのです。でもさなぎの変体に失敗して命をなくしてゆくカブトムシもいるのです。そうすると、はじめは気持ち悪がっていた子ども達が、その子の周りに集まって慰めるのです。
 その様子をみて、やはり子ども達を変えるのは「本物」だと感じました。教科書でいくら勉強したからと言っても心を揺さぶるのは、ざわざわした感じで子どもを成長させるのは「本物」だと思います。是非、皆さんと共に、出前授業や色々な活動を通して子ども達に本物を伝えていけたらと思います。


文教大学付属小学校校長代行 島野 歩(あゆみ)

昭和63年より約20年間、東京都公立学校勤務。学級担任時代は、全国生活・総合学会、獣医学会等、幅広い活動、人脈の中で、魅力ある学級経営・授業創りの研究に取り組む。その間、東京教師道場の助言者・指導者として、若手教師育成にも力を注ぐ。
平成24年、北区教育委員会指導主事着任。指導主事時代は、幼・小・中学校連携担当として、北区50校6園の授業を通した交流連携を意欲的に推進する。
平成25年より現在の文教大学付属小学校副校長として着任し、これまでの教職経験を活かしながら、「学びを創る」学校を教職員・子供たち・保護者と共に希求する。平成26年8月より校長代行となり、現在に至る。
酪農教育ファームとの関わりは、昨年度、幼児用絵本「うしのティアラ」の制作委員をお願いするとともに、現在勤務の文教大学付属小学校で、仁科伍浩先生(目白大学人間学部子ども学科 助教・226年度スキルアップ研修会関東会場講師)と一緒に酪農家派遣の出前授業を実施。
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