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平成26年度 酪農教育ファームスキルアップ研修会(関東会場1)―講演―
平成26年度 酪農教育ファームスキルアップ研修会(東京会場1)が行われました。
いのちとどう向き合うか。一年生の実践を通して
目白大学人間学部子ども学科 助教 仁科伍浩

 昨年度、1年生の道徳の授業として、加茂牧場の加茂さんにお越しいただき出前授業を1時間、私の方で事前事後5時間、合わせて6時間のいのちの学習を行いました。

「いのち」とは何だろう?
 1年生が描いたいのちの形です。(画像参照)
ハートに羽根が生えているものや普通の真っ赤なハートを描いている子がいる中、人の体の内臓やあばら骨を描いている子もいます。
 私が行ったいのちの学習の導入として、子どもたちに「いのちの形」を描いてもらうことからスタートしました。このように見ると「いのち」のイメージがそれぞれ全く違います。この「いのち」のイメージをそのまま最後の6時間目の授業まで持っていてもらいたいと思い、この時点で私の方からは絵に関して特にコメントはしませんでした。
 この学習の流れとしては、まず「いのち」とはなんだろうという事で、命の形を書きました。また、「いのち」は心臓だという子がいたので、友達同士で心臓の音を聞きあったり、耳の中に指を入れて筋肉の動く音を聞いたり、いろんな形で自分の「いのち」を確かめていきました。
「生きるってなんだろう」
 次に、谷川俊太郎さんの「生きる」という詩を読みました。これは谷川さん自身が生きていると感じる事を詩にしています。これをみんなで読み、子どもたちも自分たちがどういう時に生きていると感じるのか、生きていると感じる瞬間を書いてもらいました。
 生きるという事は「話すこと、書くこと、食べること、走ること、見ること」など、一日の自分の簡単な動きを書く子もいれば、「夕日が沈むこと。カーテンが揺れること」など、おしゃれなことを書く子もいました。「いのち」に対する考え方が子ども同士違うので、どのような時に生きると感じるかも全然違いました。
 これは最後に詩としてまとめて、友達の作品を見ながら感想を書いていきました。感想をもらえると子どもたちは喜びますし、自分も言われたら友達の良いところを探してあげたいという気持ちが芽生えるのではと思い実践しました。
 ここまでで、私自身がとても大切にした事は、子どもの意見を全て書き出し、全員で共有する時間を出来るだけ作るようにした事です。「これが良い、これが悪いではなくて、全部良い意見、自分の意見が言えた」ということを意識しました。
私のいのち、あなたのいのち
 加茂さんの授業の直前に行ったのが「私のいのち、あなたのいのち」という授業です。
上段:0歳から7歳まで、下段:0際から9歳まで書かれた年表を渡し、子どもたちに0歳から何があったかエピソードを書いてもらいました。7歳の子どもたちなので、7歳以降は将来の夢があれば夢を、無い子は空欄で良しとしました。これは導入の部分で、本当の意図する部分は上段にあります。
 子どもたちに、「これからある1人の女の子の0歳からの様子を言うので上段に書いてください。書きながら自分の時と比べてみよう」という事で始めました。ちなみに名前は花子です。

花子さんは、0歳で産まれてすぐに立ち上がります。
この時点で子供たちはびっくりします。

2ヶ月くらいすると母親のお乳を飲まなくなります。2歳になるとお腹に赤ちゃんが出来ます。そして2才で赤ちゃんを産みました。
子供たちはそれを聞いて、早いよーという反応と、中には自分たちとは違う生き物なのではと気づく子たちも出てきます。
そして3歳、4歳、5歳と何回も赤ちゃんを産みました。
子どもたちが気付き始め、「豚?牛?」などがあがってきます。

実は花子さんはこの子なんだよと、牛の顔のアップを見せました。
 0歳の時、2歳の時、自分と一緒のところ、違うところを話し合いました。そして花子さんの年表が7歳までで終わっていることに気付きます。
なぜ、7歳までしかないの?
 牛には経済寿命あります。大体メス牛が6歳、7歳で子どもが産めなくなり、お乳が出なくなる(牛乳がとれなくなる)と、出荷されてお肉になると話しました。
 自分たちと同じ年で出荷され、お肉になる。「えーっ!」という顔をする子もいれば、自分との違いが受け入れられなくてテンションが上がってしまう子もいました。
「牛さんのいのちはここで終わりなの?」
 私から投げかけました。子どもたちにとってはお肉になってしまえば終わりですが、実は7歳で終わっている年表、最後を斜め線にしているところに私の意図することがあります。みんなが食べるお肉は、お乳が出せなくなってお肉になった牛さんの「いのち」を頂いている。だから繋がっているのではないかということを、子どもたちの話し合いの中で導いていければと思いました。うまく出るかなと思ったのですが、「食べる」ということから繋がりが出ました。
 その後の加茂さんの授業は、牛の原寸大の教材を広げて見せてもらったり、餌や牛の糞を持って来て頂いて、実際触ったり、においを嗅いだりしながら、授業して頂きました。
 今回の一連の授業の中で結論を求めることはせず、最後に子どもたちひとりひとりに作文を書いてもらいました。思い思いの言葉を自由に書いてもらいました。ほとんどの子は1週間後に自分の意見をまとめていたのですが、1人だけなかなかまとめられない子がいました。その子は授業の時にも凄くテンションが上がっていてうまくまとめることが出来ていませんでした。その2ヶ月後にその子のお祖父さんが亡くなりました。その際にお祖父さん宛に書いた手紙を見て私はびっくりしました。  その場でまとめられなかった言葉を少し時間をかけてあげるといのちと向き合うことが出来ました。  低学年の子どもたちは、なかなか身の回りのいのちについて考える機会が無いと思いますが、この子の場合はお祖父さんが亡くなったことをきっかけにして、いのちの学習の芽が出たのではないかと思っています。
答えを子どもたちにゆだねる
 私は今回の授業で答えを求めることにこだわりませんでした。スタート地点も違う子どもたちですから、ゴール地点もゴールまでにかかる時間も違うのではないかと考えたからです。早くゴールを見つける子、たどり着ける子もいれば、なかなか自分の答えが見つからない子もいる。ただ、あるきっかけを境に自分の考えや意見にたどり着く子もいるのではないかと思います。その子たちの大地を耕してあげて、種を撒いてあげて、その芽が出るまでしばらく待ってあげることを考えながら、私たちは授業をしています。
 今回、「いのちとどう向き合うか」というテーマで行いました。向き合い方は子どもたち1人1人違うのではないかと感じています。「こう向き合いましょう」、「こう向き合わなければいけない」ということをしなくても、子どもたちが自分の考えを持って自分たちの答えを見つけられると感じました。


目白大学人間学部子ども学科 助教 仁科伍浩氏

上越教育大学大学院学校教育研究科修了(教育学修士)
早稲田大学大学院人間科学研究科博士後期課程単位取得退学
文教大学付属小学校での勤務を経て、現職。
昨年度、中央酪農会議が主催する出前授業で酪農家を派遣してもらい、1年生の道徳の授業で酪農を取り入れ、「いのち」について学習を進める。
授業後の子どもの作品が、感動通信VOL38で紹介される。
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