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講演「子どもたちの心に落ちる酪農家の話とは」
(スキルアップ近畿会場)
子どもの心に落ちるには
 子どもの心に落ちるというのは、納得するという事です。それには時間という要素が欠かせないと思います。
 今、地域の時間と学校の時間がズレています。昔からズレはありますが、例えば、秋祭りの時に学校を休んだり、それでも地域に寄り添っていました。このズレが食の教育、農業体験などを取り入れる時に大きなネックになっています。
 田んぼでお米を作る、大豆の収穫などの体験をする事になると、地域のお年寄りは大体朝7時位に学校に来ます。
ですが、まだ学校は開いてませんし、子どもたちも来ていません。さらに、学校に来たら朝の会というのがあり、子どもの健康観察をする時間があります。その後8時25分から、45分刻みの授業が行われるのです。しかし、地域の暮らしは45分刻みではないので関係ありません。
 学校と授業をする時には時間の折り合いを付けなければなりませんが、その折り合いを付ける事が大変です。お米作りでも、稲刈りの日が学校の行事の日と重なると、授業に位置づけできません。台風がくるとなれば、刈った稲を束ねて取り入れなければならない。その日が日曜だったら、誰が行くのか?という事になるとまた面倒な話になります。
 ですが、子どもの学びを支えるためには、地域の時間と学校の時間を合わせていかないと、学びになりません。まして、子どもの時間というのはじっくりものを考えて、自分で決めていく時間を保証出来るかということだと思います。酪農というのは、この2つの時間を保証出来ると私は思っています。命の時間に合わすことが出来る。
 長野の学校で、1年生は烏骨鶏、2年生は山羊、3年生が羊を飼っています。生き物がいると、死なすわけにはいかない、お腹がすいたら鳴くし、餌もあげなけれなならない。そうすると切実感や関わりが深く生まれ、自分ごとになっていきます。その中で、自分と牛との関わりを作っていくこと。それが、学びになるのです。
 皆さんが生業として生活している事を子どもたちに伝えたいのです。子どものなかに落ちるには時間が必要です。長い時間をかけ繰り返すことが大事です。子どもに向き合う時間を保証しないといけないと思います。
事例:おにぎりプロジェクト
 3つの学校でそれぞれ塩、米、おにぎりの具になる野菜を作り(レシピ)、物々交換をする学習をしました。
 私の学校では素敵な料理人の方と一緒に学習することができました。素敵と言うのは、そのことを暮らしの生業としている人、言う言葉に内実を伴っている人です。そんな方を子どもたちに会わせたかったのです。
 子どもたちがおにぎりの具を作りたいと相談をしました。そうすると「おにぎりもまともに握れないのに具になんて手を出すな」と言ったのです。そこから学習の方向が一変、まずおにぎりの握り方を学びました。半殺しというを言葉ご存知ですか。おにぎりを一回握ったあと握り込む技なのですが、子どもたちが半殺しという言葉を使います。「おにぎりは半殺しにします」と言ったり、ワークシートに書いたりするのです。私が、半殺しという言葉を使ったらいけませんが、料理人が使うとその言葉は意味のあるものになるのです。
 私はあまり酪農家さんに命を語って欲しくないと思っていますが、教員が語るより数十倍の切実感と関係性と意味と物語をもって子どもに落ちていきます。そこを自覚していただきたいのです。表面的なテクニックももちろん必要だと思います。初めてきた子どもたちとアイスブレーキングをするために、名札を付けたり、名前を呼んだり、にこにこしながら質問にも答えていくようなパフォーマンスも必要かもしれません。ですが、皆さんが語る言葉は1つ1つ意味を持っているはずです。そうしないと牛は飼えないのではないでしょうか。私たちは、牛を飼った事がないのに命のことを軽々しく口にします。だから切実感がないのです。だからこそ切実感のある人を連れてきたいと思ったのです。
 学習は1年間やり、お米や塩が届きました。家庭科ではランチョンマットを作り、担任の先生が焼き物が好きなので、図工の時間に焼き物も作りました。まるごとを作ることが出来る、それが食の学習だと思います。
ままならない事と向き合う
 今、子どもたちは「ままならない」事がありません。思い通りになる世界で生きています。消費者として生まれてくるという言い方もしますが、120円を入れたら120円分のジュースが出てくる世界です。50円のジュースが出てきたら怒ります。ですが、私たちの生活はそういうものではないと思います。やればやっただけ返ってくるものではないと思います。
 現在、小学校の若い先生の離職が問題になっています。原因を探ってみると、ままならないことに付き合えないからなのです。一学期は繰り返しなのです。何度言っても子どもたちは変わりません。でも言わなかったら変わらないから言い続けます。ですが、若い先生は言うと変わると思っています。言い方が悪いから変わらないと思っているのですが、そういう訳ではないのです。全てのものが思い通りになると思っている。それと向き合えないと、自分の思い通りになる世界に引きこもろうとする。コミュニケーションを断っていくのです。この「ままならない」ということが大変な教育価値があるのです。この「ままならない」という事にお付き合いしているのが皆さんです。牛や大型動物は思い通りになりません。存在感、威圧感がある。それが子どもたちにとって意味がある事なのです。ままならない事に上手に付き合っていることを子どもたちは学びます。牛をみているようで その先の酪農家を子どもたちは見ています。子どもは向き合っている姿を見て学びます。私たちはどうしても言葉を信頼します。ですが、子どもはまだ言葉を実感していません。
酪農家さん自体が価値ある教材
 皆さんは命を語る資格を持っていると思います。それは現場で、命と付き合っている人だから。今回のテーマとは外れますが、言いたい事は言った方が良いと思います。伝わろうが伝わらなくても、自信を持って言ってください。熱意や思いが形として伝わらなくても、子どもの中には入っていると思います。
 その時に、仲間・同士の酪農家さんはどういう思いをしているのか、これは私だけの思いなのか、私の思いは何か偏っていないのかなど、本日のような勉強会を通じ、自分の思いを共有しながら強くしていくことが大事ではないかと思います。

藤本 勇二・武庫川女子大学 文学部教育学科 専任講師

1962年徳島県生まれ。鳴門教育大学大学院修士課程修了。2010年より現職。
小学校教諭として、そば、大豆、米などさまざまな農作物を育てて、食べて、学ぶ総合学習活動を展開。地域の持つ伝統的技術や食文化、生活の知恵を取り入れた食育カリキュラムの開発に長年尽力している。
平成22年より、認証研修会、スキルアップ研修会などの講師をお引き受けいただく。
【著書】
「学びを深める 食育ハンドブック」(学研)
「学級担任のための食育の授業」(ひまわり社)など
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