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DVD視聴/全体でディスカッション(スキルアップ近畿会場)01
命に対する思い
藤本先生:
DVDを見てどう思いましたか?
参加者:
子どもたちから「この牛最後はどうなっちゃうの?」と質問された時、どう受け応えたら良いかいつも悩んでいます。若い従業員が「牛肉になって、みんな食べています。」と軽い気持ちで言うと、子どもたちはキョトンとしています。もう少し丁寧な説明をと言っているのですが、あまり指導している時間もなく、何か良い方法はないかと思っています。DVDでは、何回も何回も時間をかけて説明していました。
藤本先生:
「この牛最後はどうなっちゃうの?」と質問が出たときどうしていますか?
参加者:
僕は子どもたちが牛舎に来た時に、「死んでしまう」と言います。可愛い子牛や和牛、ホルスタインの雄がいて、雄と雌でどう人生が違うかなどを話すと、今までの可愛いという視線が死を意識した時から、ガラリと目つきが変わります。例えば、話を良く聞くようになったりします。言い方ではなく子どもがどう考えるかだと思うので、とりあえず言えば良いのかなと思っています。
参加者:
体験に来たら、牛の命の話が一番大事な事になると思います。必ずと言うくらい、「この牛最後はどうなっちゃうの?」、「どれぐらいで?」と聞かれます。だいたいこれぐらいで売られて、皆が食べるお肉になったり、革は鞄や靴になったりするという話もします。けれど最終的に「命は大事です。大切にしましょう」と話す一方、途中で売られ命がお金で売買される点が子どもたちを不安にさせるような気がします。こんなに大事に育てているのにお金で売買出来るの?と言うところを私なりに一生懸命話しているのですが、1時間半、2時間の体験ではそこまで伝える事が出来ないと思っています。命になって、肥料になって、牛が食べる牧草が生えて、循環と言っていましたが、その辺の話が分かってもらえるように、時間をかけてゆっくり話し、子どもたちとの会話を持ちながら、質問を受けながらやっていくのが大事だなと思いました。
参加者:
私のところはジャージーの育成と肥育がいるので、それを見ながら雄はこういうふうになりますという説明とあわせて、雌の説明をしています。そういった面では学年を選びながら説明が出来る点は良いと思います。ただ雌の場合は、と畜をされる時に、どういう説明をするか、言葉をどう選ぶか考えています。肥育に関しては、除角と去勢の過程があるのですが、高校生とか大学生は去勢すると言ったら、「キャー」とか言って内股になりながら話を聞いてくれるのですが、除角の説明までいくと泣いてしまう子もいるので、全部が全部真実を話さなくても良いのかなと思いながら説明しています。
参加者:
「家畜」というのを説明してあげると良いのではないかと思います。人間の為に産まれてきて、最終的には人間の為に死んで行く、我々人間の為に生きていると言う事を説明してあげれば、割と納得がいくのではないかと思います。
藤本先生:
皆さんがそれぞれ悩んだり、苦しんだりしている事を出すことが大事で、絶対的な答えがある訳ではないことだと思います。唯一絶対の方法がないから、大変ですが意味があり深いことだと思います。
命の繋がり、親子の話
参加者:
「家畜」というのを説明するのは良いと思います。現在ペットブームで、犬や猫などをたくさん飼っていて、そのペットに対しては何十万円治療費をかけて一生懸命世話します。でも、牛は少し病気になっただけで、屠場に連れて行くのは、それは家畜だからだと言う事を説明しないと理解してもらえない。子どもたちは、可愛いと犬や猫などのペットと同じように感じてしまう。そこからギャップが生まれると思います。
参加者:
ペットとは全然違うという事を教えると割と皆、納得してくれます。
参加者:
でも、ペットとどう違うのでしょうか。私には良く分かりません。良く子どもたちに「ようわからんなぁ」と、私の答えを投げかけます。先生が言われたように正しい答えはないし、「今後の課題だね」と言っています。
参加者:
私は、ペットとうちの牛との違いは、牛乳を売って経営をしている面で、経済動物とペットの違いを話します。小学生の子どもたちには経済動物と言っても分からないと思います。でも、産まれた牛は家族と同じように育てていることを言いながら、経営のことを一緒に話しています。エサをいっぱい食べるのに、お乳を少ししか出さなくなって、赤ちゃんも産めなくなったら売られていきます。でないと牧場がつぶれてしまいます。それが良いかは分かりませんが、そうやって話をしています。
藤本先生:
それはとっても大切だと思います。大人の事情をきちんと説明することで子どもたちが大人を尊敬するのだと思います。
参加者:
私はお母さん牛を触らせるのも良いけれど、子どもたちと同じ目線で見れる子牛ってすごい力があると思います。お母さん牛より力があると思います。私は乳搾り体験はやらないほうが良いと思っています。怖がる子どももいますので。もちろん温かいのですが、命として実感が湧かないと思います。ですが、自分たちはこれから先70年80年生きるかもしれないのに、自分と同じくらいの子牛は、後数年で自分たちの食べる給食のお肉になるかもしれないと話すと、一瞬「うっ」となります。泣き出す子どももいますが、そこで初めて命に対する思いや子牛に対する思い、友達に対する思いやりが出てくると思います。
死ということの表現
参加者:
DVDの中で牛が死ぬというのを「殺す」と表現していました。殺すという表現が妥当なのかどうか。私は、死というのは子どもでも漠然とでも感じられるものだと思っています。ですが、死ぬと殺すでは意味合いが変わってくると思い気になりました。今、ペットを遺棄したり虐待したら罰金もあります。私たちは家畜を扱っている中で、牛はとても大きい動物なので、動かすために叩いたりする場合があると思います。ですがそれを虐待とは言わないですし、亡くなっても死体を埋めることはしません。ペットと家畜が違うという中で、殺すという表現がどれだけ妥当で伝えていいものなのか。人が家畜を殺して良いのに、なぜ人が人を殺してはいけないのか、ペットを殺してはいけないのかという話になります。それが家畜は食べる為のものだからというだけを理由としてしまうのは違うと思います。
参加者:
あえて言っていたとしても、子どもたちの表情が、「死ぬ」と言う以上に漠然としているように見えました。この表現で良いのか私も気になりました。
参加者:
私は、体験の中で殺すとはいわず、と殺といいます。殺すというと戦争で敵を殺すとか、虐待というイメージがあるので、家畜を殺すことはと殺ということで言っています。
参加者:
私はお肉になりますと言います。
参加者:
殺すというと意図的な感じがします。子どもの前ではちょっと言えません。
参加者:
お肉になるというのは牛から見た言い方で、殺すは人間から見た言い方だと思います。殺すというと人間の都合が先に出ている気がします。殺される側の立場に立たとうとするかの違いではないでしょうか。
藤本先生:
私は気付きませんでした。感覚が鈍いのですかね?
参加者:
それは先生だからだと思います。私たちは、毎日愛情持って牛を育てています。その牛が牧場から出て行く時に殺すという言葉はなかなか出にくいと思います。
命が大事って言ったり、お金で取引する部分があったりする中、最終的に皆がお肉を食べて元気に大きくなっているのはそのお陰だという感謝の気持ちを伝えたい。可哀相だから食べないと思わないで、私たちがいろいろな命を頂いて大きくなっていることを伝えたいと思います。
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