「悲劇のヒーローにはなりたくない」 牧草地の復興に力を注ぐ

大変な思いをしている人に、まず届けなくてはーー。

震災直後から軽油の輸送など被災者支援に駆け回った。

現在は、地域の酪農家のリーダーとなり、

石だらけの地で除染活動に取り組む。

地域を駆け回りながら 牛乳で体を温めた

蔵王連峰の南麓、ブナやナラの自然林に囲まれた「ファームイチカワ牧場」。2011年3月11日の東日本大震災の日、大きな揺れを感じた牧場主の市川拓さん(50歳)は、あの日を振り返ります。
「これは尋常じゃない、と思って家族の安全を確認してから地区の消防団として見回りに行きました」
一件ずつ生存確認をし、夜に帰宅したときは猛吹雪。電気・水道・電話回線などのインフラは10日間マヒ状態になりました。餌の配達も止まり、搾乳もできない状態で酪農の仕事が機能不全となるなか、市川さんは徐々に集まってくる情報を頼りに、沿岸部の地域に200リットルの軽油を寄付し、輸送したそうです。
「大変な思いをしている人に届けなくては、という一心でした」
宮城県内の乳業工場もすべて被災し、生乳を受け入れる状態になるまで、搾乳した生乳は廃棄という指示が出されました。
「酪農家にとっていちばんつらいのは、生乳を捨てること。でも、厚生労働省の特例措置により、一部は10リットルパックに詰めて『沸かして飲んでね』と老人ホームや沿岸の被災地のみなさんに届けたんです。飲み水も不足する状況だったから、みんなに『体が温まる』と喜んでもらえた。冷え切った体で家に戻り、温めて飲んだ牛乳のうまさったら、なかったね!」 
生まれたての子牛が牛乳だけを飲んで大きくなる姿を日々見ている市川さんですが、このときばかりは「やっぱり牛乳は特別な飲み物だ」と実感したのだといいます。

「納得できるところまで、やってみよう」 行政の管轄を超えて酪農家が集まった

インフラは復旧したものの、原発事故による放射性物質問題が地域を揺るがしました。現在も牧草地で育てた牧草を与えることはできず、代替飼料を与えています。
「ここは蔵王の火山が噴火してできた土地で、不毛の地といわれるくらい牧草が育ちにくいんです。30年かけて堆肥を入れ、牧草を根付かせてきた。悔しいのは、それが30年前にすっかり戻されてしまったことです」 この状況をどうするのか……。手をこまねいていても始まらない、と市川さんは近隣の酪農家12軒に声をかけました。
「行政の管轄や支部が異なる酪農家同士ですが、自分がリーダーになるから、なんとかしようや、と集まったんです」
2012年7月から、ブルドーザーや、石を砕くストーンクラッシャーなどの重機で除染を開始。溶岩と石の塊だらけの土地は表土がとても薄く、掘っても岩だらけ。市川さんは「納得できるところまで結果を出さないと誰もついてこない」と覚悟を決めたといいます。
標高600メートル、冬が早く春が遅いこの地で除染活動ができる期間も限られるなか、通常の除染では15センチのところ40センチまで土壌を削るなど徹底的な除染を行い、牧草の種をまき終えたのは10月半ばでした。
「よくもここまでついてきてくれたと感謝するぐらい、酪農仲間たちも懸命にやってくれた」
ライトグリーンの牧草が育つ丘に立ち、市川さんはしみじみとつぶやきます。

牛の健やかなお産のためにも大切な牧草 吹き出しをクリック
牛の健やかなお産を支える牧草

「私たちの仕事は生き物が相手だから、こっちの理屈で予想するとおりにならないのが日常です。こだわりといえば、安産させること。お産のトラブルがなければ、病気になりにくいし、乳質もいい状態を維持できる。だから、子牛を産む前には太りすぎないよう、濃厚なえさはやらずに草をしっかり与える。うちでは“ダイエット群”なんて呼んでいるんだけど、体を適度に軽くしてやると、人間と同じで産後の肥立ちがいいんです」
牛の健康はもちろん、健やかなお産を支えるためにも、大事な役割を務める牧草。だから除染に力を注ぐのは当たり前の努力なのだと市川さんは言います。
「東日本大震災では海も山も被害を負いました。海も山も、生命の源。海が“母なる海”と呼ばれるなら、山は父なる存在です。自分たちで手を入れることが可能なのに放置するということは、やってはいけないことなのです」

牛乳には、人を笑顔にする力がある

「悲劇のヒーローにはなりたくない。ひどいときには『もっとひどかった人がいるはず、おれはまだいいんだ』と思うんです。そしたら、笑っちゃうんだよね」
顔をくしゃっとさせ、人なつっこい顔でほほえむ市川さん。誰もまだ経験したことがない除染作業も、新たな前例を作れば自分の宝になります。
「幸い、29年の経験があるからノウハウは持っている。苦しくなったときは、何か新しいことに挑戦したくなるの。ダメなら、やり直せばいい」と強いまなざしで言います。
タフな表情のいっぽうで、お孫さんたちを抱っこしては牛の顔のそばに近づけ、おどける愉快なおじいちゃんぶりも。
「孫たちはもちろん、地元の子どもたちが牛乳をごくごく飲んで『おいしいね!』って笑顔で言ってくれる顔を見るのが、なによりうれしいね。牛乳を買ってくれる人にはそういう笑顔をする権利がある。その笑顔を守り、安心して飲んでもらえる牛乳を生産するのが、私たち生産者の仕事です。今、この状況でどうしてこんなに前向きでいられるかというと、彼らの笑顔を私は見ているからなんです」

牧草の種をまいて生育したからといってそこで終わりではありません。かつてと同じくらいの量を刈り取ることができるまで何年かかるか、誰にも予想はつきません。そのようななか、仲間同士でファームイチカワの事務所に集まり、情報交換することもしばしば。
「個人でやるより、集まったほうが書類の書き方一つとっても話が早い。たまに笑いが出るような雰囲気を作っていければと思っています」
震災を経て、つくづく「酪農は一人でできる仕事ではない」と痛感した市川さん。これからも、その懐の深さと冒険心で、地域の酪農を支えていきます。

家族みんなで、命と向きあって 吹き出しをクリック
家族みんなで、命と向きあって

市川さんは妻の輝子さん(49歳)と2人で、365日休みなしで酪農に力を注いできました。輝子さんは、搾乳を担当。「しゃがんで、立ってを繰り返してきたから、このごろ膝が痛くなってしまって。そんな私を心配して、除染作業は自分がやるからって1人でこなしてくれたんです。身の回りのささいなことにも感謝して、地域のリーダーを引き受けちゃう性質は、たぶんお母さん譲りなんでしょうねぇ」と輝子さん。
夫婦はいつも牛舎にいるので、市川家の子どもたちは牛舎に「ただいまー」と帰ってくるのが日常でした。「牛舎でおしゃべりが長引くと、夜、家に帰るのが遅くなっちゃったりしてね」と市川さんはやさしいまなざしで振り返ります。今ではお孫さんたちが元気に牛舎を走り回っています。
「小さい子どもが来ると、牛は不思議とおとなしくなる。牛も和むのかな」
現在は次女の志穂さん(25歳)が同居しながら手伝い、長女の佳枝さん(27歳)は従業員として子牛の世話を担当。もう一人の従業員の山田知樹さん(16歳)も酪農の修行中です。長男の敏孝さん(21歳)は現在北海道の大学に通い、卒業後は後継者になる予定です。

牧場名
ファームイチカワ牧場
牧場主
市川拓
所在地
〒989-0501 宮城県刈田郡七ケ宿町字長老123-2
家族数
6名
従業員数
5名
酪農開始年
1953年
飼養頭数
経産牛90頭、育成牛90頭
牛舎
フリーストール、フリーバーン