「労働環境を良くしていこうよ」

そんな声かけから生まれた、えさ作りの専門施設。

共同で牧草地を管理し、休耕農地も復活。循環型の酪農をめざす。

若手の新規就農者支援にもつながっている。

「ロク」が張った、りっぱな牛たち

「ロクが張っている牛は健康で丈夫なんです。ロクは肋骨のこと。肋骨が張っているということは胃袋が大きい証拠だからね。モリモリ食べて、いい牛乳を作ってくれるんです」
伊藤一稔さん(61歳)の牧場では、朝の搾乳を終え、牛たちもゆったりとまどろんでいる様子。
盛岡市の農業高校を卒業後、父から酪農を引き継いだという伊藤さん。30年ほど前、地元のJAが新規開拓した酪農団地に入ったのを契機に、徐々に規模を拡大してきました。
敷地には牛を運動させるパドックがあり、育成中の牛たちをここに放します。
「適度に運動をさせることで足腰の丈夫な牛になります。運動すれば飼料もよく食べる。胃袋をちゃんとつくるためでもありますね」
ただ、太り過ぎは禁物。太りぎみの牛は搾乳量が落ちるそうです。中には太りやすい体質の牛もいるため、日々の健康管理は欠かせません。朝夕の搾乳作業が終わったら牛舎をきれいに掃除し、牛のベッドにオガクズを撒きます。
「ベッドがぬれていたりしたら、乳房炎の原因にもなります。牛にとってはここが生活場所なので、できるだけ心地良く過ごせるようにしないといけない。牛を怒らず、たたかず、きれいない水をいつでも好きなだけ飲めるようにすること、換気、採光、牛舎内の温度、きれいに乾いたベッド、ステージごとに適切なえさを食べさせること、そして優しく接してあげること、牛を注意して観察すること。これらすべてが牛飼いの重要なポイントです。人間の赤ちゃんに接するのと同じです」

おいしく安全なえさを共同の専門施設で作る

伊藤さんは、牧草を以前は自家栽培していました。東京ドーム約6.4個分の草地を妻の悦子さんと2人で管理していましたが、播種から刈り取り、ラッピングしてサイレージにしていくという一連の作業は重労働であり、2人で続けることに限界を感じていたと語ります。
「私たちだけでなく、地域の酪農家も同じような悩みを抱えていました。かといって牧草を購入していてはコストが合わない。それで酪農仲間と相談して、『TMRセンター』の立ち上げに向けて動き出したんです」
「TMRセンター」とは、牧草地などを共同で管理し、牧草と穀物などをミックスした飼料(えさ)を作る施設のこと。飼料生産を共同化することでコストを抑え、酪農家の作業の軽減化にもつながるため、全国の酪農地域で導入されています。伊藤さんは2005年、10軒の酪農家とともにTMRセンター「農事組合法人岩手山麓デイリーサポート」を設立し、代表を務めています。

牧草の栽培をはじめ飼料づくりを組合のスタッフが担うことで、伊藤さんら酪農家たちは、重労働で時間も取られていたえさ作りから解放され、牛の世話に専念できるようになりました。休耕地や荒廃農地を活用して牧草などを育てているので、農地の再生にも貢献しています。
草地には牛舎から出る牛糞堆肥や液肥もすき込み、土づくりをしっかり行います。また、飼料には食物残渣も利用されています。現在加えているのは盛岡市内の豆腐工場から出されるオカラと、青森県のリンゴ産地から送られてくるリンゴの絞りかす。通常なら廃棄されてしまうものを活かし、それを食べた牛たちの糞尿を農地に還元するという地域循環型の飼料生産が実現しています。
センターの設立によってもう1つ改善されたことがあります。それは、酪農に新規参入しやすくなったことです。
「最近では30代の若手が酪農を始めるようになりました。飼料生産は重労働なだけでなく、経験と知識も必要なので、新規就農者にとってはハードルが高い。その部分をセンターが担うので、酪農を始めやすくなった。後継者を育てていく足掛かりとしても期待されています」

伊藤さんの牧場では、酪農体験もやっています 吹き出しをクリック
酪農体験で子どもたちに伝えたいこと

伊藤牧場では十数年前から地域の子どもたちに酪農体験をさせてきました。5年前には酪農教育ファームの認証牧場となり、今では県内だけでなく県外、海外からも子どもたちがやってきます。
「子どもたちには、できるだけ牛と接する機会を与えるようにします。からだをなでたり、口に手を入れてなめてもらったりね。みんなが飲んでいる牛乳は牛が作ってくれているんだよ、ということを理解してもらいたいので。搾り立ての牛乳はほんのりと温かい、そういう些細な経験でも子どもたちは驚きます。中には牛乳が嫌いという子もいますが、自分が搾った牛乳はおいしいって言いながら飲むしね」
また、悦子さんが先生となり、牛乳を使った料理を体験することもあります。そのメニューの1つ「牛乳かん」は、寒天で固めた牛乳にフルーツを加えたデザートで、新鮮なミルクの風味がギュッと凝縮されています。
「搾り立ての牛乳でないと、この味が出せないんです。地域の子ども会の集まりなどに持っていくとたいへん喜ばれます」

酪農の現場から、もっと声をあげていこう

伊藤さん夫妻は忙しい酪農の仕事を続けながら、「牛たちと共に!」をモットーに6人のお子さんを育ててきました。生き物相手の酪農は休むことができません。でも、ときには子どもたちをどこかへ連れて行ってあげたい。そこで、朝の搾乳が終わってからお弁当を持って岩手山に登り、夕方の搾乳までに帰ってくるという日帰り登山を強行しました。「仕事も子育ても一所懸命だった」と伊藤さん。そんな夫妻の意志を継いだのは、末っ子の研太郎さん(23歳)でした。伊藤家の酪農後継者として、今は父とともに働いています。
「小さいころから牛がいるのが当たり前という暮らしだったので、酪農を継ぐことに抵抗はありませんでした。まだまだ勉強中です。父に教わりながらの毎日かな」
そんな研太朗さんを評して、伊藤さんは「筋がいい」と語ります。
「手先も器用だし、作業の段取りも上手ですね。何より、研太朗は牛が好きなんですよ。それが一番大事。好きでなければ牛の立場になって気遣ってやることができませんから」
誰もが安心して飲めるおいしい牛乳を作るために、また、これからの酪農を担う研太朗さんら若い後継者たちが働きやすい環境を作っていくためにも、酪農家たちはもっと声をあげるべきだと伊藤さんは力説します。
「牛乳の価格1つとっても酪農家の願いはなかなか反映されません。だからといってあきらめてはいけないと思うんですよ。酪農はね、一度辞めてしまったら再開するのはほとんど不可能です。本当にギリギリのところで現場はがんばっている。だから、酪農家たちはもっと声をあげていかないといけない。現場の声を伝えていくことも、私たち酪農家の務めだと思います」
そこには酪農家としてのゆるぎない自信と、酪農への熱い思いがあります。

牧場名
伊藤一稔牧場
牧場主
伊藤一稔
所在地
〒028-7112 岩手県八幡平市田頭17-18
家族数
5名
従業員数
2名
酪農開始年
1971年
飼養頭数
経産牛40頭、育成牛25頭
牛舎
つなぎ