先代が荒野に牧場を拓き、二代目が牧場を確固たる存在に築き上げた。

そして三代目が、その思いを継ぐ。

四代目が生まれたいま、家族がいつも一緒にいるありがたさを胸に、

さらなる飛躍をめざす。

四代目が生まれて

磐梯山麓の高台にある成田牧場は、戦後まもなく、二代目として牧場を守る成田昌夫さん(60歳)の父、弘之さんが開拓しました。当時、牧場の周辺は森林に囲まれ、ほんの数キロ離れた駅に行くのにも半日がかり。冬は雪も深く、命がけの開拓だったことがうかがわれます。現在は、昌夫さんの息子、昌弘さん(35歳)が三代目として牧場を継ぎ、昌夫さんと二人三脚で運営しています。
2012年2月、成田家の四代目が誕生しました。昌弘さんの長男、柊(しゅう)君です。昌弘さんは数年前、長野県出身の芽依さんと結婚。柊君が生まれて、成田家は5人家族になりました。成田牧場の四代目として決定、というのは早急すぎますが、昌夫さん、昌弘さんの背中を見て育つ柊君が跡を継ぐのは、自然の流れのように思えます。

当たり前のように後継者に

昌夫さんは、昭和47年に父・弘之さんが亡くなったあと牧場経営を担ってきましたが、父から「跡を継いでほしい」と言われたことは一度もなかったといいます。 「いま思うと不思議だよなあ。当たり前のように牧場を継いでいた…」と昌夫さん。何も言わずに、というのは昌弘さんのときもそうでした。
「私から継いでくれなんてひとことも言ったことはないし、昌弘も自分から継ぐと言ったことは一度もなかった。きっと、やるしかないと思ったんだろうね」
昌弘さんは自らの意思で県の農業短大を卒業し、その後1年間、千葉県の牧場で研修しました。成田牧場に戻ってからも、それこそ当然のように、昌夫さんと力を合わせて牧場を成長させてきました。
仕事に愚痴を言ったら誰もついてはきません。背伸びをせず、自然体でやってきた昌夫さんの後ろ姿を、昌弘さんはずっと見ていたのでしょう。

家族が助け合いながら、笑顔で

昌弘さんの母、勝子さんは語ります。
「長男の昌弘をはじめ3人の子どもたちは、一度として『どこかに連れてって』と言ったことがありませんでした。夏休みの絵日記も書けなかったのにね。牧場というのはまず牛ありきで、牛がえさを食べてから自分たちが食事をするという暮らし。でも子どもたちは、主人と私がいつも一緒にいて、その日のことを楽しそうに話しているのを見るのがとてもうれしそうでした」
地域社会が崩壊し、家族さえもばらばらになっているいま、家には仲のいい両親がいて、みんな一緒にいるだけで十分に楽しい、そんな生活が成田家にはありました。
「どこかに出かけなくたっていいんだ。助け合いながら、笑顔で暮らせればいい。家族経営の牧場はそれがすべてだね。」昌夫さんはそう話してくれました。

成田家のヘルパーさんへの心配り
共にがんばってきた仲間として

昌夫さんや昌弘さんの酪農家としての思いは、牧場の仕事を手伝ってくれる酪農ヘルパーさんとの関係にも表れています。「酪農ヘルパー」とは、酪農家が休暇をとるときに、酪農家に代わり搾乳や給餌などの仕事をする人のこと。ふつうは、冠婚葬祭や家族で出かけるときにヘルパーさんを頼むことになるのですが、成田牧場では月2回、外出しないときでもあえてヘルパーさんを依頼しているのです。
昔の寒冷地の酪農家は、雪に覆われる冬、出稼ぎに出ることもしばしばでした。正月を家で過ごしたことのない人もいました。そんな現状を知る昌夫さんには、酪農に携わる人たちに余計な苦労をしてほしくないという思いがあります。
「専門のヘルパーさんにとって、ヘルパーの仕事は生活の糧。牧場というのはいろいろな人の力を借りないとやっていけないし、ヘルパーさんにも家族がいる。だから、外に出る用事がなくても頼むことにしているんだ」
成田家にとってヘルパーさんは、家族のような存在であり、震災以降を共にがんばってきた仲間。昌弘さんは父の姿勢に、酪農家としての矜持を感じていたに違いありません。

自家製の牧草を早く食べさせたい

2011年の東日本大震災は、成田牧場にも大きな影を落としました。
放射能汚染の影響で、周辺地域の牧草は使えない状況にありました。搾乳中の牛は、1日に約30キロものえさを食べます。そのえさで栄養を蓄え、血液約400リットルから約1リットルの牛乳を生みだします。誰しも、自らが牧草を栽培し、長年培った調合のえさを与えたいはず。ところが、そんな当たり前のことが叶わず、2012年6月から町役場が中心となり、除染を行うことになりました。2013年6月には一番草が成長し、県の検査で給与可能な判定が出れば、晴れて自家製の牧草をえさにすることが可能になります。6月まで、気の抜けない日々が続きます。
もちろん、こうした状況にあっても成田牧場は揺らぎません。何よりそこには家族の強い絆があるからです。
「母と妻にはとても感謝しています。僕や父がいないときにも牧場を守ってくれて、そのお陰で頑張ることができています。だから震災後、搾った牛乳を捨てる毎日が続いても、牧場をやめようと思ったことは一度もありませんでした」と昌弘さん。
「自分自身はまだまだ盤石とは言えませんが、共進会(牛のコンテスト)をはじめ、一所懸命打ち込めば必ずいい方向に行くこと、そして、型にはまらずやわらかく考えるということを父から学びました。息子には、好きな道に進んでくれればいいと思っています。僕の後ろ姿を見て、自然とその道を選ぶのもいい。そのためにも、魅力ある牛飼いでありたいと常に願っています」

成田家のヘルパーさんへの心配り
命の尊さ、生きる力を感じてほしい

「あっ、ビールみたいだ!」
体験学習で成田牧場を訪れていた猪苗代町の小学1・2年生たちが、大きな声を上げました。子どもたちは、えさやりや乳しぼり、バター作りなどを体験。牧場は大きな歓声に包まれました。
「子どもたちって、牛の排泄シーンをいちばん喜ぶんだよな」
そう言って、昌夫さんは顔をほころばせます。「乳房にさわらせると『温かい』って驚き、子どもたちの手のひらに直接、牛の乳房から乳を搾ってあげるとまた『温かい』って驚く。初めての経験に輝く顔を見るのがうれしくてね」
成田牧場は「酪農教育ファーム」の認証を受けています。酪農教育ファームは、“食といのちの学び”をテーマに特色ある教育活動を行う指定牧場のこと。体験学習は昌弘さんが中心になって行います。手作りの紙芝居などもまじえながら、子どもたちに命の大切さを伝えてきました。
「受胎から始まり、出産、成長、そして別れという一連の命の育みは、人と同じ。命の尊さや生きる力を子どもたちにもぜひ感じてほしいのです」

牧場名
成田牧場
牧場主
成田昌夫
所在地
〒969-3283 福島県耶麻郡猪苗代町長田字長田148-2
従業員数
4名(家族)
酪農開始年
1965年
飼養頭数
100頭(成牛約60頭)
牛舎
フリーストール