自身の牧場の開場10周年記念を間もなく迎えるはずだった。

あの日を境に、ある酪農家の人生が変わった。

そして2012年、ミネロファームと出会う。

田中一正さんの人生が再び開けた瞬間だった。

145kgの初出荷

福島市の南部、松川町水原字峰路(みねみち)にあるミネロファームは2012年8月、45頭の乳牛を搬入してスタートしたばかり。2012年内には、150頭の導入をめざしています。
ミネロの名は、地名でもある峰路が由来ですが、ここはNPO法人が運営する珍しい牧場です。NPO法人の名は“福島農業復興ネットワーク(FAR-Net)”。福島の酪農の復興を大きな目的として、2012年1月に設立されたNPO法人の、その最初の拠点がミネロファームなのです。
現在、ミネロファームの場長として働く田中一正さん(41歳)は、牧場のスタート以来、ほとんど休むことなく牧場に詰めています。
「場長としての責任感、なんて言うとカッコよすぎますが、子牛も増えて目が離せず…」
好きな釣りや映画鑑賞もお預けにし、休みなしで働いた田中さんの努力もあって2012年10月5日、145kgという少量ながら初めての牛乳出荷にこぎつけ、ミネロファームは未来に向けての前進を始めました。

つらい思い出

福島県飯舘村で牧場を営んでいた田中さんが大地震に遭遇したのは、農協からの帰り道でした。
「急いで家に戻ってみると、すでに牛も落ち着いていたのですが、停電がやまないのです。牧場に電気は欠かせませんから、発電機を借りるために近所中を走り回りました」
自宅の損壊もなく、ひと安心の田中さんにはしかし、予想外の事態が待ち受けていました。東京電力福島第一原子力発電所の事故でした。地震による被害はほとんどなかったのに、田中さんとご両親は避難を余儀なくされてしまったのです。
「牛を処分しなければなりませんでした。いい牛から順位をつけて引き取ってもらい、残りはと場に送らざるをえなかったのですが、順位が低く、はたから見ればあまりよくない牛でも、思い入れのある牛はいるものです。私情を捨てなければいけないとわかっていても、本当につらく悲しい作業でした」

ミネロファームとの出会い

ご両親を東京に避難させ、田中さん自身は福島県西白河郡、また山形県置賜(おきたま)地方の牧場で働く毎日が続きました。そんなときに届いたのが、NPO法人福島農業復興ネットワークが被災農家に送ったアンケートでした。ミネロファームの事業に参画する意志はあるかどうか。田中さんはすぐに“あり”との返答をしました。
2012年5月1日、田中さんは牧場運営担当理事としてNPO法人に加わります。震災後に東北の牧場の手伝いを続け、先の見えない生活を送っていた田中さんにとって、自ら牧場運営者として働ける日が久しぶりにやってきました。この日から田中さんは牧場の基盤づくりを進め、8月には牛舎から牛たちの鳴き声が響くようになったのです。

福島農業復興ネットワークについて
福島農業復興ネットワークとミネロファーム

NPO法人福島農業復興ネットワークの設立に際しては、フランスの世界的食品企業ダノングループが組織するファンド、ダノンエコシステムファンドの支援を受けています。この支援を受け入れた背景には、出資ではなくあくまでも支援であるということ、さらには、ミネロファームの事業化が遅れれば遅れるほど、酪農をやめてしまう人が増えるのではないかという懸念がありました。
被災者にとって、酪農をいつ再開できるのか、そしていつ元の場所に戻れるのかといった不安は常につきまとっています。そして、一度やめた酪農を再開するためにはたいへんな労力が必要になります。こうした状況が2年、3年と続いてしまえば、酪農家が加速度的に減ってしまうのは火を見るより明らかでした。そこに行けば牛がいて、仲間がいて、そんな場所づくりが急務だったのです。現在、ミネロファームでは、場長の田中さんを含め5人の方が運営スタッフとして働いていますが、全員が被災された酪農家です。

ミネロファームのめざすもの

ミネロファームは、NPO法人が運営するという実験的な牧場ではあるのですが、牧場そのものは各地で営まれている形態と変わりはありません。施設や牧草地も、震災で経営が困難になった牧場を借り受けています。違うのはその運営方針。事務局長補佐の増子裕人さん(47歳)にお話を伺いました。
「いちばんの目的は、福島の酪農の復興です。原発事故で避難を余儀なくされた酪農家76戸のうち、再開された酪農家はまだ13戸。再開のめどがつかない被災酪農家の方に集まっていただき、共同型経営による働き場をつくりたいというのがミネロファームを設立した第一の理由です。共同型経営は、勤務シフトを組んでQOL(Quality of life=生活の質)の向上をめざすことができ、大規模化によって経営の安定を図れるというメリットがあります。一方で、収益の最大化を図ることは運営者として当然のこととしても、ミネロファームばかりが利益を上げてブランド価値を高めることはまったく考えていません。ミネロファームが復興のエンジンとなって、福島県全体で競合するのではなく、共に復興していくことこそが重要と考えています」

ミネロファームはこんなことをやっています
体験ファーム、エコファームとして

ミネロファームでは、メインである牧場経営のほかにも、さまざまな活動目的を掲げています。新規就農者のバックアップ、親子体験ファーム、そして地域や大学と協力しての酪農教育ファーム、エコロジカルファームなど、酪農を理解してもらうための取り組みです。牧場経営が軌道に乗り始めたばかりのいま、これらの実践はもう少し先ですが、唯一、すでに3回実施しているのが“もーもースクール”。地元の小学校に牛を連れていき、乳搾り体験やバターづくりを通して命と食の大切さを伝えてきました。参加した子どもたちのなかには、「牛に触われたことだけでうれしい」と言う子もいましたが、これこそが酪農を知る第一歩となるのでしょう。

The show must go on

東京生まれで新潟育ちの田中さんが栃木県の大牧場で働いていたのは20代。酪農専門の学校を卒業してから最初の仕事でした。30歳で意を決し、飯舘村に入植。一人で45頭の乳牛を飼育し、さあこれからというときに大震災に襲われました。
「何カ月かあとに、開場10周年記念パーティを開く予定だったのです。だけど、飯舘で牧場をやることはもう不可能になってしまいました。震災後、何度か飯舘に行ってみたのですが、人がいないとここまでひどくなるのかというほどに家も牧場も荒れ果て、もし戻っていいと言われても何をしたらいいのか…。いま、ミネロファームに居場所を得て、ロックグループQueenの歌『The show must go on(ショーは終わらない)』の気持ちになっています。私はまだ、人生の仕事と決めたもの(酪農)の結果を出していません。もう途中でやめるわけにはいかないんです」
2012年10月下旬、1か月以内には難しいと思われていた日量1トンの出荷乳量を達成しました。来年の目標は日量4.5トン。「ミネロファームは、田中イズムを発揮してくれればきっとうまくいく」と増子さん。でも、その言葉に甘んじるわけにはいきません。ミネロファームは田中さんにとって、いっそう飛躍していくための舞台だからです。

牧場データ
牧場名
ミネロファーム
牧場主
NPO法人福島農業復興ネットワーク(FAR-Net)
所在地
〒960-1243 福島県福島市松川町水原字峰路8-13
従業員数
5名
酪農開始年
2012年8月24日(乳牛の搬入日)
牛舎
フリーバーン+フリーストール